「しょうがない」という言葉には一種の悲壮感やあきらめの感情が込められています。自分で自分自身を対象に使えばその感は一層強まります。ですが他人に向けてこの言葉を投げかけるときは、相手を思いやり、励ます言葉にもなり得ます。一つの言葉でもプラスとマイナス両方の意味を持つ言葉は少なくありません。「結構です」などはその代表例と言えそうです。お茶の席で「結構なお手前で」と言えば、素晴らしという意味のプラスの言葉として使われ、訪問販売を断るときの「結構です」は拒絶の意を持ったマイナスの言葉として使用されます。
前記の「しょうがない」に関して、その語源は「仕様が無い」です。自然災害など避けることの出来ない事態に遭って害を被った場合などはまさに「しょうがない」といったことになります。身近に私が使用する場合では生徒が体調を崩して宿題をすることができなかったという場合などは「しょうがないね」と言えます。ところが一ヶ月前から未提出になっている宿題に関しては「仕様が無い」では済まされません。もちろん大病を患って一ヶ月入院していました。などといったことは例外ですが、そうで無い限りどんな仕様の無い状況があるのでしょう。面倒くさいとか勉強が嫌いとか本人の気持ちの問題で宿題をやってこないことに関して言えばそれは十分に「しょうがある」=「仕様が有る」ということです。
万人が一様に学力を身に付けていくわけではありません。成長の速度は個々バラバラです。ですが、少なくとも学校や塾に通っている子どもたちは学習に向き合う機会は等しく与えられていると思います。その中で自分に向けて「しょうがない」を使うのか、使わないのか、できれば後者であって欲しいと思います。   (吉川)