佐賀県にある吉野ケ里(よしのがり)遺跡で石棺墓(せっかんぼ)の発見がありました。

歴史の学習で必ず目にする遺跡です。時代は弥生(やよい)時代になります。環濠(かんごう)集落、水稲農耕、銅鐸(どうたく)や銅鏡(どうきょう)に見られる青銅器(せいどうき)など大陸(朝鮮半島)から伝わったことで知られていますね。九州北部には弥生時代前期の遺跡の板付(いたづけ)遺跡もありますが、この吉野ケ里遺跡は弥生時代後期。女王卑弥呼(ひみこ)が治めていたとされる邪馬台国(やまたいこく)の話が中国の歴史書「魏志」倭人伝(ぎしわじんでん)に記されていたころです。西暦239年、女王卑弥呼は魏(ぎ)の皇帝に使いを送り「親魏倭王」の称号と金印、銅鏡などをおくられたとされています。247年かその直後に亡くなったとされる女王卑弥呼。邪馬台国のあった弥生時代後期の有力者の墓はこれまで発見されていません。邪馬台国の所在地は、九州北部にあったとされる九州説と近畿地方の大和にあったとされる近畿説の二つが有力ですが、その結論が解き明かされるかもしれません。
今回の石棺墓は女王卑弥呼のものなのか? 6月5日10時に石棺墓の石蓋(いしぶた)が開けられ副葬品などを調査するそうです。

小学5年生の皆さんは、予習シリーズ下巻で「吉野ケ里遺跡」、「環濠集落」、「邪馬台国」、「卑弥呼」、「『魏志』倭人伝」などを学習します。漢字で書けるようにしましょう。(青山)