「手紙文」という学習単元があるのですが、古式に則った手紙の書き方やそれに必要な知識を身に付けるというのが単元の目標となっています。そこで、この単元を学習する際に、生徒たちに「普段手紙を書く人」と言って質問するとほとんどの生徒が「書かない」と答えます。稀に「よく書く」と答えた生徒に「頭語は何を使う」とか「時候の挨拶」はと訪ねても全く要領を得ません。これはその子の知識の無さを責めるのではなく、大人であっても同じ事が起きる。つまり、手紙の書き方という形式が廃れてきていることの表れであるということです。
現在の通信手段として、手紙を使う人がどれほどいることでしょう。手紙を書く機会自体が無くなってきているということを考えれば手紙が廃れていくのは当然と言えます。それでも「手紙文」を学習する意味は何なのでしょうか。受験を志している生徒であれば入試に出題されるから学習するといたってシンプルな理由がありますが、そうでない生徒の学習の目的は何なのでしょう。
伝統的な日本文化の一端に触れ、日本人としての嗜みとして身に付けるということなのでしょうか。実用的なものとしての学習ではなく、「古文」と同じような扱いの単元として生き延びていくのかもしれません。それならそれで、教えられる生徒たちにもそのように伝えていくことが必要なのではないでしょうか。 吉川