何でも家にいながら買える時代がやってきたようです。魚を買うなら魚屋さん、お花を買うならお花屋さん、鍋を買うなら金物屋さんと、かつては必要とするものに応じて違うお店へ足を運んでいました。それが複合型の大型店舗に集約されて、日用雑貨や食材、電化製品、本、洋服と一カ所で全ての物が揃うようになり、私のように出不精な人間にはまことに便利な世の中になったと感嘆の声を漏らしていたのも束の間、今では表に出なくても、ネットで注文すれば何でも家に届く時代になってしまいました。
実際に品物を見なくてもよく分かっている物に関しては意図する物と違う物が届く心配はありません。例えば「○○のおいしいお水」だとか「○○納豆」とかは日常的に近所のスーパーや商店で売られているものと同じ商品が届くのでおいしいかおいしくないかなどのギャンブル性はありません。
また、何処で売られているのか判断できないような物もネットでは簡単に見つけることが出来、注文をすることが出来ます。例えば「凧揚げに使うタコ糸」などは近所のおもちゃ屋さんで確実に手に入るかどうか確証を得ることはできません。また金魚すくいで使用する「ポイ」などもどこへ行けば手に入るのか、徒にお店を訪ね歩いたところでなかなか本懐を遂げることはできそうもありません。
良いことずくめのネット販売と思われますが、支払いを巡ってもめることもあるようです。また、個人レベルでの物品の遣り取りではトラブルも少なくないとよく耳にします。お店に足を運べばそこには売る側の人間の顔を見ながらの遣り取りになります。信用だとか人間性だとかといったものが介在する余地が残されています。そういったものを煩わしさとして厭う人も世の中にはいるのかもしれません。コロナ禍にあって益々その傾向は強まっていくのかもしれません。ですが、それが果たして住みやすい社会と言えるのかどうか、アナログ人間の私には判断がつきかねます。面と向かっていてもダマされることはありますが、顔が見えていたほうが恨みの対象として印象に残る分、マシなような気がします。                                            吉川