先日、授業で「人間とロボットの違い」について書かれた論説文を扱いました。論旨としては、人間を機械のように置き換えて考えても得られる物は少ない、なぜなら人間と機械は全くの別物だからというものでした。文章を読んだ生徒たちの反応は今ひとつしっくりきていないようでした。生徒たちにとっては機械と人間との間に共通点があるのか、なぜ、人間を機械に置き換えなければならないのか、そもそも人間と機械は同じではないということがあるので、筆者の意図が読み取れないとのことでした。
確かに文章の途中から抽出された一部分だけを読んで全体を理解するのは難しいことです。中には意図的に曲解を促しているのではないかと悪意を疑うものもあります。学習材料としての抽出にはもちろん悪意はありませんが、文章を切り取ることで得をする立場の人間も世の中にはいるのです。
わざと誤解を煽り広く世間に情報を流布することを生業にしている人もいるということを前提に私たちは情報に触れていかなければならないのです。厄介なのはその情報の発信は誰にでもできる世の中になってきていることです。よく言われていることですが、私たちを取り巻く環境は日々便利になっていきます。ですが、その環境の変化に法律の整備は追いついていません。便利さの代償として誰かが痛みを抱えなければならない世の中は居心地が良いとは言えません。(吉川)