文章を読むという単純な作業は皆同じようにできるのに、内容の理解はまちまちなのはなぜでしょうか。中学三年生に小学一年生の国語の教科書を読んでもらえば、その内容を遜色なく一定のレベルで一様に理解が届くはずです。では、中学三年生に小学六年生の解く私立中学の入試問題を読んでもらったらどうなるのでしょう。小学一年生のそれのように一律に理解が届くかどうかは疑問であると言わざるを得ません。義務教育期間を経て共通のカリキュラムを経ても個々の着地点が違うというのは周知の事実です。その違いはどこから生まれてくるのでしょうか。
端的に言ってしまえば環境の違いではないでしょうか。同じ教育サービスを受けていても同じレスポンスが期待できないのはもちろん個々の能力によると思われますが、その能力の発達過程は環境が大きく左右するのではないでしょうか。一日のうち学校で過ごすのはその三分の一ほどの時間です。それ以外の三分の二は睡眠時間もありますが、家庭で過ごすことになります。そこで手にする時間や空間が子どもにどう影響を与えるのか考えてみる価値は十分にあると思います。
「好きこそものの上手なれ、何かに興味を持って、それにのめり込む」ということをよく耳にしますが、好きな物に出会えるかどうかはまさに環境にかかっていると思います。可能性を広げる為の環境作りに目を向けてもいいのかもしれません。(吉川)