昔の文章に触れる機会が多いので、環境の変化、生活様式の変化などをしみじみと感じます。今の子どもと昔の子どもの感覚のズレであったり、生活を取り巻くものの違いといったものは、私が子どもの時に大人の人たちが感じていたそれを大きく凌いでいるような気がします。何と言ってもIT時代に象徴される変化は生活、環境の面で昭和の中期からは想像を絶するものとなっています。例えば江戸時代の初期から後期までで比べても今の時代ほどの科学的進歩に起因する驚きには遠く及ばなかったのではないでしょうか。
昔と比べたら色々なことが便利になってきています。それはまた、昔は便利であった物が現在から見れば不便な物になっていくということを意味しています。遠くの人とリアルタイムでの会話を可能とする固定電話の普及は当時まさに画期的なものであったはずです。ですが現在その有用性は薄れ、携帯電話の万能性には遠く及ばなくなってしまいました。また、洗濯機や掃除機といったものもまさに自動化されています。
こういった便利さに慣れてしまうことに警鐘を鳴らす文章を最近とみに目にするようになりました。いずれも便利さそのものを糾弾するものではなく、折角培ってきた科学技術を有効に活用することには異存が無いのですが、その便利さを享受する我々人間の資質を問うといった内容のものがほとんどです。
目先の便利さに目を奪われて全体を見ることをしなくなったという指摘には私自身も大いに身につまされるように思いました。お金の対価に便利さを手に入れる近年当たり前になっているこのシステムを懐疑的に受け止める部分も必要なのかもしれません。                                                                                                       吉川