5年生の授業で永井龍男の「胡桃割り」を扱いました。その内容は、小学6年生の男の子が翌々日に修学旅行を控え、母親の病状が優れず、父親の意向で楽しみにしていた修学旅行には参加できないかもしれないという状況に立たされてしまいます。主人公である「僕」は旅行先での友人たちとの約束などを想像し、参加できないことへの不満を募らせ物に当たったりして泣き崩れる。そんな内容なのですが、生徒たちに感想を聞くと、「別に修学旅行に行けなくても何とも思わない」とか「むしろ行きたくない」とか「お母さんの病状を思えば当たり前」とかいう意見が出ました。この主人公に同情できると答えた生徒はほんの二、三人といったところでした。
年を重ねるにつれて、こういった子どもたちの考え方の傾向が顕著になりつつあるように思われます。私の子どもの頃と比較しても大きく乖離しているような気がします。学校行事に乗せられていることの格好悪さというのか、それを素直に受け入れる子どもらしさの欠如というのか分かりませんが、最近の子どもたちが私の子ども時代と比べて冷めているような気がしてなりません。
別に子どもは子どもらしくとか、昔の自分と同じような感覚を有していて欲しいとは思いませんが、共感できる部分が少なくなってくるという事に関しては何となく寂しいような気がします。                                           吉川