昨日のネットニュースで女子ソフトボールの山田恵里選手が今季限りで引退するという記事を目にしました。山田さんは厚木商業高校でインターハイを連覇し、社会人になってからも日立やデンソーで活躍されました。オリンピックではアテネで銅メダル、北京と東京では金メダルをとり、東京オリンピックでは主将としてチームを牽引するなど大活躍。「ソフトボール界の女イチロー」と呼ばれるほどの凄い選手で、上野選手と並ぶ超有名人です。
 そんな山田さんが21年間の現役生活に幕を下ろす決断を下したことは影ながら応援していた私にとっては寂しい気持ちなのですが、ここまで頑張って努力し結果を出し続けてきたことに心より敬意を表したいと思います。
 山田さんとの出会いは彼女が中1のときでした。SHOSHINの教室で一番後に座っていた彼女は短髪で色黒の生徒でした。小学校の頃からお兄さんや周りの男の子に混ざって野球をしていたため、そのような風貌だったのでしょう。名簿や出席簿をしっかり確認せず、座席表にあった名前と容姿だけで判断し「山田君」と呼んでしまいました。直ぐさま「私、女です!」と言われてしまったことは25年経った今でも鮮明に覚えています。山田さんに対して非礼だったのはこれだけではありません。彼女が中3のときの話です。進路を決める際に、ソフトボールをやるために強豪の厚木商業を希望すると話されたとき、私は心からそれを応援し、後押ししてあげた訳ではなく、逆に当時今ほど有名ではなかったソフトボールをやるために進学校を決めたり、怪我をしたら終わりという厳しいスポーツ界に足を踏み入れることが本当に正しい選択なのかということを偉そうに語ってしまいました。山田さんはこれについて強く反論する訳でもなく、「家族と相談して決めたことなので」と淡々と話すだけで、多くを語らなかったと記憶しています。きっと、こいつに何を言ってもわかってもらえないと思ったからだと思います。その場で心から応援してあげていれば、きっと熱い思いやただならぬ決意などを話してくれたのかもしれません。塾講師をして長くなってしまったので今までいろいろと失敗を重ねもしましたし、後悔もしてきました。山田さんの件は数ある後悔のうち、最大級にあたるものですが、今となってはどうしようもないことではあります。
 これからは指導者や裏方でソフトボール界を盛り上げていく役回りとなるのでしょうが、今までと変わらず、山田さんらしく逞しく生きていってもらいたいと思います。
 最後に山田さんがTwitterで呟いた私の心に残った言葉を皆さんにもお伝えしたいと思います。(二宮)
 
 「何が正解なんてわからないけど、今自分に出来ることをやり尽くす。曲げちゃいけないものは貫き通す。その先に見えるものが必ずあると信じて。やります山田恵里。」