言葉の記号としての働きについては昔からよく言われています。話し言葉にせよ書き言葉にせよ所詮は自分の考えや要望を言葉という道具を用いて相手(対象)に伝えるということには変わりがありません。では、人類が一人だけならば言葉はいらないかというとそうもいかないような気がします。世の中に自分ひとりしか存在しないのであれば自分の思考の通りに行動すればいいはずです。話す、伝える対象が無ければ言葉という道具は出番が無くなってしまうような気がしますが、私たちが思考をする際にはある程度言葉を抽象化して思考を進めていくことになります。動物のように本能だけで行動を取っていては今のような世の中は形成されなかったろうことは明白です。
自然災害や他の動物との兼ね合いの中から人類が突出してきたのは言語を用いた思考に行き着いたからではないでしょうか。今ある事実を分析し検証し次に起こる事象を類推する。瞬間を生きているだけではその場しのぎの連続です。ところが、ある法則性を知れば危険を回避することができます。またそれを仲間と共有すれば類推の幅は広がっていくわけです。
昨今話し言葉はやや活躍の場を失いつつありますが、書き言葉や思考の為の言葉は今後ますます広がりを見せていくことでしょう。言葉は会話ということよりも思考としてのツールとしての役割を多く担っていくのではないでしょうか。 (吉川)