最近よく教育目標として掲げられている多様性だとか多面的とか個性重視といったものに関して、何故それが目標となり得るのかという着地地点が明確にされていないことが少し気になります。同じ目標として掲げられているグローバルな視点もまた然りだと思います。どうして多様性が重要でグローバル化が必要なのか、そもそもその性質は相反するものなのではないのかなどと勘繰りたくなってしまいます。
学校説明会などで、グローバル社会でも活躍できる人材の育成を目指すとよく喧伝されています。その為にはまず英語教育を云々とまことしやかにその具体的な教育プランを説明されるのですが、建学の精神では個性の伸長を図ると述べられる。個性を伸長させるには、そこには他との協調が害される可能性も示唆されています。グロバールとは価値観の共有であるとするならばそれは個性の伸長とは全く反対の思想にはならないのだろうか。などと説明の合間に考えたりもします。
これらの一見矛盾していると思われることも説明の仕方によっては矛盾になり得ません。それは、どちらの考え方も必要なものだけを採用することです。教育はどちらか一つではありません。考え得る最善のものを適宜目指していくことが第一命題です。学問の修得以外に人格の形成を担う学校に於いてはその追求を怠ってはいけません。個人の打算とグローバルな観点との比較が行動の指針となり得るのです。
指導する側の立場にいる人が指導される側の人たちにそのことを伝えて行かなければ、矛盾は矛盾のままになってしまいます。(吉川)