恥ずかしいことですが、音楽とか美術とか芸術といったものとは凡そ関わりのない人生を送って来ました。ベートーベンといえば「運命」とかダ・ヴィンチといえば「モナリザ」とか極々浅い知識しか持ち合わせていません。その曲を聴いて、その絵を見て堪えきれない激しい衝動が発露したとか、どのような技法が使われているとかそういったことは一切分からないそんな私です。
そんな私でも絵画について昔から少し気になることがありました。絵画の歴史がどういうものか詳しく分かりませんが、日本を含む東洋と西洋ではその画題が大きく異なるのは何故かということです。日本最古の絵画が何になるのか私の知るところではありませんが、中国からの影響を受けている「枯山水」などの水墨画は圧倒的に「自然」をテーマにしているものが多いように思います。
一方西洋画の画題となるものは「人物」のような気がします。ミレーの「落ち穂拾い」や「種を蒔く人」などでは確かに風景の描写が見られますが、そこには自然というよりは人物有りきの風景が描き出されています。ゴッホの「アルルの跳ね橋」なども風景ではありますが、そのタイトル通り、人工物をその中心に据えてあります。西洋画における純粋な自然物を対象とした絵画というのは私の知る限り少ないような気がします。
そこに西洋と日本の自然に対する考え方がはっきりと表れているような気がします。自然と一体化した我々日本人の感性と自然を征服の対象とみなす西洋風の感性が歴史の中にはっきりと刻まれているような気がします。絵心の全く無い私ですが、もし絵を描くならば、画題は人物や人工物ではなく「自然」を求めることでしょう。私の中にも連綿と培われてきた日本人イズムがあるのかもしれません。(吉川)