何かに夢中になって取り組むという経験は貴重なものです。それは年齢やジャンルを問わず貴重であると思います。しかしここには何か行動が伴っていたほうがいいと思います。仕事や部活動、勉強、スポーツなどは言うまでも無く体や知識を総動員して行うものであります。その中で目標の設定が行われ日々の研鑽が生まれてくるわけです。もちろんそれぞれ到達できるレベルは違いますが、上記の過程で満足感や充実感といったものを味わうことになるのです。
ところが活動を伴わない夢中は、活動を伴うそれに対して脆弱であると思います。例えばテレビに夢中になるといった場合テレビを視聴することに夢中になるわけです。そこから得られる知識は膨大であり、ある意味研鑽を積んでいるとも考えられますが、見るという行為は先の行動を伴う夢中に分類されません。なぜなら目標の設定が無いからです。テレビを見る行為はあくまでも受動的な行為です。テレビを見るための努力、研鑽は考えづらい状況です。
何かに夢中に取り組むことがなぜ貴重な体験となり得るのか。それは生きていくことに直結しているからに他ならないからではないでしょうか。夢中で取り組んだことの経験は一過性のものではなく、その人の生き方の一部を構成していくことになるからです。何も難しいことをやり遂げる必要はありません。個々に全力で取り組める何かがあれば、人生も充実させていけるような気がします。(吉川)