嘘も方便という言葉があります。場合によってはウソも悪いものでは無いという意味ですが、この言葉が出回っている事態ウソは悪で有り、良くな無いものという共通認識が世間にはあるということを証明しています。何処の世界でもウソを善と見なすことは基本的には無いと思います。

 では、嘘も方便となる場合のウソとはどんなものであるのでしょう。離れて暮らす年老いた両親が心配をしてその子供に安否を尋ねてきます。子供としては例え体調が悪くても、仕事が上手くいっていなくても、親に心配をかけたくありませんので、息災であると告げる。その返答を聞いて年老いた両親は安堵する。この場合、ウソをつく子供は自分の両親の心情を慮ってウソをつきます。これは方便と言えるのかもしれません。

 では、仕事でへまをしてしまい、会社に大きな損害を出してしまいます。その時に部下に全ての責任を押しつけて、自分は関係が無いと自分の保身のためにウソをついた場合。これは、全くの身勝手であり、そこには何の同情を汲むこともできません。

 つまり、他人の為につくウソは方便になり得る資格を有していて、自分の為のウソは社会悪になり得るということになります。私などは授業を盛り上げる為に、生徒の為に先生の年齢は二十歳ですとよく嘯いているのですが、これも方便と言えるのでしょうか。(吉川)