国語の授業で多く目にするのですが、設問の理解が足りていないことによって正答にたどり着けない生徒たちがいます。文章自体の内容に関してはそこそこ理解が足りているのに、設問の意味(何を問われていて、何を答えればいいのか)が分からないというのです。 たとえば「主人公は何のために花束を買ったのですか?」という設問があったとします。この設問の留意点は「何のために」です。この点を理解していない場合、1「花屋でバラの花を買った」や2「友人が辛い目に遭っているから」などと答えるパターンが見受けられます。1の回答に関しては「何処で何の花を買ったのですか」と完全な問題の読み間違いを起因としています。単純なミスとしてよく問題を読めば解決ができます。問題は2の回答です。何とも正当に近い非常に残念な間違いと言えます。「友人が辛い目に遭っているから」では世の人々の友人達が辛い目に遭っていれば友人関係にある自分は花束を買うということになってしまいます。花束を買うことの実質的な意義は何なのか釈然としません。この場合必要なのは花束を買い、その花束を落ち込んでいる友人に贈り、その友人に元気になって欲しいという事情が分からなければ正答とは呼べません。「辛い目に遭って落ち込んでいる友人に花束を贈り、はげますため。」などと答える必要があるのです。
 理屈を言えば簡単な事なのですが、この事情を解することがどうやら難しいようです。幼い子どもに「何でそれが好きなの?」と聞いて「好きだから。」と応じられたことはないでしょうか。もちろんこれでは質問した側の意図に応えたことにはなりません。これと同じ次元で設問に答える中学生も少なくありません。設問の裏にある意図を読まなければ正答にはたどり着けません。(吉川)