授業で韻文の学習が始まると、短歌や俳句についての説明をすることになるのですが、生徒たちの反応は芳しくありません。長い文章を読むことを厭う傾向にある生徒たちにすれば、三十一文字や十七音の定型詩は読み易くはあるのではないかと思うのですが、それがどうやらそうでも無いようです。圧倒的に説明が不十分であるこの定型詩の解釈は彼らにとっては異次元の物の如く映るようで、自由な解釈を試みようにも全く足掛かりが掴めないといった難解なもののようです。
そんな短い詩を解釈するために必要なのがルールです。俳句に関しては、季節を表す語である季語を用いるという一般的なルールが存在します。この季語を起点に思考を広げていくことが大切なのですが、この季語が旧暦に沿って設定されているために、実に分かりづらいのです。「蛙」とあれば春を表す季語となるのですが、「青蛙・雨蛙」とあればそれは夏を表す季語となってしまいますし、「鮎」は夏、「若鮎」は春、「落鮎」は秋と同じ鮎でも三つの季節を表す語となり得ます。
また、旧暦とのギャップにも分かりづらさはあります。「朝顔」と言えば夏の風物詩のような気がしますが、実際は秋を表す季語となります。「七夕」や「天の川」なども秋の季語となります。このことによって解釈の混乱を来すことは十分に想像が出来ます。
幸い学校の定期テストでは教科書に載っている作品だけの解釈に終始していますが、入試ではそうはいきません。ある程度身の回りにあるものや季節に象徴される風物などにも気を配って把握しておくことも必要かもしれません。歳時記などが身近にあると楽しいかもしれません。                                                                      吉川