一秒や一分、一時間は誰にでも同じ物理的な瞬間の連続として与えられているものなのに、その体感速度は各々違うとは不思議なものです。あまり興味のない、好きでもない教科の授業では一分が数十分にも感じられ、好きな本を読んでいるときには一時間が十分ほどの短い時間にも感じられます。このことは誰もが感じていることでしょう。面白いことに、その自分が長く感じている時間を短く感じている他人がいるということです。時間がたっぷりあればやりたいことは存分に果たせるはずですが、一向に作業が進まない場合もあります。
我々は何かをいつまでにしなければならない状況に置かれることが多々あります。これは人間社会に生まれれば宿命として背負っていかなければなりません。赤ちゃんであってもいずれは自分で歩行しなければなりませんし、小学生の低学年であっても宿題やテストの為の勉強や社会人であっても営業のノルマであったり、資料の作成など数え挙げればきりがありません。
このような数多くの約束ごとを効率よくこなしていくためには上記の気持ちの問題が大切になってくるのではないでしょうか。とは言っても嫌いな教科をいきなり好きになることはできません。しかし、取り組み次第では興味を持つことのできることもあるのではないでしょうか。参考書を変えてみるとか、出来るところから問題を解くとか、教科書だけを読むとかアプローチを変えてみることも有効なのではないでしょうか。具体的な目標を立てることもいいかもしれません。
あっという間の一年間という感想はその中に興味にひかれた何かがあったからこそ生まれるものではないでしょうか。勉強に追われて、仕事に追われてなどマイナスの意味で使われることが多いようですが、勉強、仕事の部分的なものの中には夢中になることができた何かが内在していたのではないでしょうか。 吉川