「同調圧力」とか「空気を読む」とかはマイナスの要素を含んだ言葉なのでしょうか。私見ですが、「同調圧力」には同調することを強要するまさにプレッシャーを掛けるということなのでしょう。皆で協力し利益を得るために足並みを揃えろということで、そこから外れてはいけないと暗に脅すことが「同調圧力」である。「空気を読む」は皆で共有しているその場の雰囲気を壊さないようにするということである。もしその空気を壊せば周りの人間から非難を浴びることとなります。そうであるならばこれらの言葉は確かに物騒な言葉として認識されていると言えるでしょう。
 ですが、よく言われている日本人の倫理観や道徳観の根底には世間体という価値観があるという考え方を鑑みれば、上記の言葉がマイナスだけの意味を持つ言葉だとは考えづらくなります。日本人特有の奥ゆかしさや思いやりの精神などは世界に誇るべきものであるように思います。周りの人に迷惑を掛けないとか変な目で見られたくないという思いを日本人の気質として個々が身に付けていたからこそ、今の日本があるとも言えるのではないのでしょうか。もちろん「同調」があってもそこには強制する「圧力」があってはいけません。「空気を読ん」で場を和ませることがあっても「迎合」であってはなりません。
 こんな事を学校では教えてはくれません。では、生徒たちはどこで身に付けていけばいいのでしょう?人との関係性が益々希薄となる世の中では「同調圧力」とか「空気を読む」といった言葉らはマイナスの言葉としてしか使われなくなっていくのかもしれません。グローバル一辺倒ではいつか足下を掬われることになってしまうかもしれません。(吉川)