文章を読むことが苦手な生徒がいて、文章の内容を理解することが苦手な生徒もいます。この両者は全くのイコールというわけではありません。読むことが下手であっても黙読レベルでは何の支障もない場合があります。むしろしっかりと読めている(内容が把握できている)生徒も中にはいます。音読ということになると極度の緊張から上手く発声ができないということもあります。黙読であればその心配はありません。従って文章の内容理解が進むということになります。

 文章の内容を理解することが苦手な生徒がそうなってしまう要因は種々あると思われますが、一番特徴的なのは語彙の欠如ではないかと思います。抽象的な表現ではありますが、語彙が足りていないから自分の近くに内容が降りてこない、自分の身近な人物、事象、体験に置換して想像することができないということではないでしょうか。現実の話であろうと空想の話であろうと言葉を用いて書かれていることには変わりがありません。文章内容の理解は一定の部分までは共通の認識があり、その先に個々の解釈の広がりを見せるのです。

 正しい言い方かどうか分かりませんが、言葉が伴っている臨場感を感じ取ることができなければ、本当の意味での語彙の獲得およびその先の文章内容の理解にはたどり着けないのかもしれません。だから語彙を獲得するのは難しいのかもしれません。私的には語彙の獲得に最も効果的な手段は会話であると思います。ささいな事でもその機会を多く設けることに尽きるのではないでしょうか。(吉川)