国語の授業で最近の子供はお使いに行かなくなったという内容の随筆を読みました。話中に豆腐を買いに行かされた筆者の経験が出てくることや、お使いがスタンダードであった時代背景から筆者は昭和の中期に生まれてたことを想像できるのですが、お豆腐はスーパーで買う物であり、お使いの経験の無い今の子供達である生徒たちにはどうもピンとこない話となっていたようでした。しかし、それも無理の無い話であると思います。今や豆腐はお豆腐屋さんで買う物では無く、スーパーやコンビニでも手に入る時代ですし、子供をお使いに出さなければならない状況がどこの家庭でも皆無になりつつあります。何よりも買い物に出かけなくとも食材やら日用品やら書籍やら今や注文して配達して貰えない品物を探す方が難しい時代となってきました。
 随筆では筆者のお使いの記憶は、お店のおばさんに褒められたり、おまけをしてもらったり、お使いの依頼者である母親に労いの言葉を掛けられたりと甘美なものとして物語られています。それを体験できない今の子供たちをもったいないと評しています。確かに社会経験の貴重な機会を失ってしまうという面に於いてはそういった感想もあると思います。しかしながら、世の中の流れ自体は変革しつつあるわけで、生活環境の変化は子供の意思とは無関係に起こっていくものです。そうであれば筆者の時代とは違った今の子供達だからこそ享受できる甘美な体験があるはずです。
 必ずしも「昔に比べて今の子供は」という内容の作品ではありませんでしたが、私としてはそんなに悲観的に捉えることはないのではないかという感想を持った一作品でした。(吉川)