夏の高校野球、甲子園大会の中止が決定されました。毎年この大会を楽しみにしている人は高校球児以外にも老若男女を問わず全国に沢山います。私もそのうちの一人ですが、そんな私の感じる残念さなど、当の球児たちのそれに比べれば全く話しにならないくらいのものであることは想像に難くありません。
どんなスポーツや文化系の部活動であっても、集大成と位置づけされるような大会やイベントは用意されているものです。それは高校生に限らず小学生、中学生、大学生といった学生と呼ばれる人たち全てにあてはまるものです。たとえ、個人の差はあるにしても、その集大成に向けて各々、もしくはチームで努力や月日を重ねて来たことは疑いようがありません。それを試す機会が奪われてしまうということの意味は大きいと思います。
高校球児たちが涙を堪えながら、今までの取り組みは無駄ではなかった、この努力はこれからの人生に必ず役に立ってくれると思います。と答えている姿を見るのは何とも辛い物です。これからの人生という不確かなものにしか今の悔しさを昇華させることができない彼らの無念さは計り知れません。
誰が悪いということではありませんが、来年の、そして再来年の子ども達にはこのような思いをさせないような対策を大人である我々が考えていかなければならないのではないでしょうか。