「中学一年生、二年生と英語が得意だったけど中学三年生になってから苦手になった」とある中学生が言っていました。英語ほど学年に左右されない教科は本来無いような気もしますが、実際にそういう感想を述べているということはそうなんでしょう。これは私の個人的な見解なのですが、国語の成績がいい生徒は英語の成績もいいような気がします。 では、英語の成績がいい生徒が逆に国語の成績もいいかというとそれがどうもそうではないような気がします。なぜこのような現象が起きてしまうのでしょうか。
中学三年生の英語のテストでは長文読解の問題は欠くことができません。これが生徒たちには大きな負担になっているようです。単語の意味や文法を解したとしても正当に結びつかない。なぜなのでしょう。
問題は国語力の欠如ではないでしょうか。何を正当として求められているのか。設問を正しく理解する。文章自体を正しく理解するには文章読解の能力が不可欠となります。個々の英単語の意味が分かったところで全体としての理解が足りていなければ正答へは至りません。英語という言語文化で育っていれば日本語読解力は必要となりません。しかし日本語という言語文化で育ってきた私たちには英語を日本語に咀嚼してから理解を進めるという工程は必要不可欠です。
その大事な作業に日本語読解能力が備わっていなければ結果は自明のものとなることでしょう。よく国語は全ての教科の礎などといいますが、それは日本人として生まれた私たちには宿命のようなものです。国語が好きとか嫌いとかいうレベルでの話ではなく、生きていくことに直結している教科が国語なのではないでしょうか。    吉川