板書考

 複数の方が書いている文章の内容として目にしたことがあるのですが、「ノートを執る」ということについての是非というのが印象に残っています。勉強において「ノートを執る」ということ特に授業では大切な作業として広く認識されています。それは塾でも学校でもそうなのですが、学校などではノート提出も課題の一部として課せられている事も多いようです。私が印象に残っていると言っているのは、ノートを執ることが知識の集積の妨げになるといった主旨の意見です。
 教える立場から言えば授業という性質上、理解を進めるための解説が主になることは必然です。その解説を聞き流してノートを執るのでは理解の進捗は望めません。至極当然の事ですが理解を進めるためには解説が必要なのです。私自身も学生の頃は定期テストに向けて黒板に書かれた文字を必死に写し執っていた覚えがあります。ですが、いざテスト勉強を始めると改めてノートに書かれていることを教科書などで確認していかないとノートの内容が理解できないという状況に置かれていました。その都度教科書や参考書を引っ張り出してきて調べるという難儀な作業を根気よく続けたものでした。
 一方でメモを取ることの有用性というのも目にします。記憶には限界があるのでそれを補足するするためのものとして大きな意味を持つというものです。確かにメモ書きであれば書くことの手間は「ノートを執る」ことに比べ掛からないし、メモした言葉の背景を類推する助けにもなり得ると思います。
 もちろんこういった板書の事情は学校で教わるものではありませんし、個々に合ったやり方というのものがあるものです。低学年においてはそれを模索するという思考事態が備わっていないことも事実です。ですが小学高学年から中学生においてはこれらの事情を把握して工夫される余地が残されているのではないでしょうか。