ホームワーク

 学習とは全くの未知であったものが説明を受けて理解され知識となる一連の流れとするならば、私たちが授業で施すのはその説明における過程であると認識しています。ですから、授業では生徒たちには未知なるものである事象をいかに説明するかといことが第一義として主眼に置かれます。では、知識としての部分はどうなのでしょう。授業では説明された事象について未知から既知にと移行されたとしても知識として活かすことはなかなか難しいというのが現状です。例えばどのような経緯でキリスト教が日本に広まっていったのか、当時の日本と外国との関係であったり、平民の暮らしぶりであったりといったことを授業で説明をして大まかな理解が完成したとしても、年号の暗記で「1549年キリスト教」とのつながりがなければ本当の理解には届きません。説明と暗記の両者がセットされて大きな知識へとなります。
 つまり、どちらか一方だけでは不十分であるということです。年号の暗記だけでその事象が説明できなければそれはまとまった知識とは言えないのです。この両者をつなげるために大きな役割を担っているのが宿題と言えそうです。授業で掴んだ何かを自分の知識に変換させるための手間がそれであると私は認識しています。
 手に入れられる寸前の状況からそれを自分のものとして腑に落とすのか、それとも手放してしまうのか宿題の負うところは大きいと言えるのではないでしょうか。