SHOSHINで学ぶ生徒の皆さんへ① なぜ勉強するのか、一度立ち止まって考えてみよう

 2006年から12年間、一回も欠かさず担当してきた水曜日の私のコーナーも、3月末までのあと数回を残すのみとなりました。計算してみると、626回もどうでもいいことを書いてきたことになります。せめて残る回は少しはまともなことをと思い、SHOSHINに在籍している生徒の皆さん、および卒業して中学や高校で勉強している皆さんに向けて、私の考えていることを書いてみようと思います。

1.なぜ勉強するのか、一度立ち止まって考えてみよう
 ごろ寝をしながらマンガを読んでいると、お母さんに「勉強しなさい!」とどなられる。あーあ、勉強なんかなければいいのに、と思ってしまう。明日はテストの日だ、と思うと、ああ、学校なんかなければいいのに、と叫びたくなる。こんな経験は誰にでもあることでしょう。勉強もない、テストもない、おまけに学校もない。ドラえもんのようなこんな世界は、子どもたちには理想郷に映るかもしれません。でも、海の外に目を向けると、内戦や貧困で学校にも行けず本も読めない子どもたちが大勢います。テレビでのインタビューでは、このような環境におかれている子どもたちは皆「学校に行きたい。勉強したい。」と言っていました。
 海外の子どもたちだけではありません。格差が広がっている日本においても、勉強したくてもまともに勉強できない子どもたち、進学したくてもあきらめなければならない子どもたちがたくさんいるのです。「勉強はイヤ、学校はきらい」と言っている子どもたちは、与えられボケ、恵まれボケしているのです。もしも勉強できない環境になれば、誰しもが勉強したいと思うはずです。なぜなら、学ぶことは人間の本能だからです。
 では、なぜ勉強するのでしょう。勉強してどうなるというのでしょうか。勉強と言えば、国語や算数、英語や数学の教科書を読み、演習してテストを受けることを先ず連想するでしょう。確かにそれも勉強であり、とても大切なことだと私は思います。しかし、勉強とは学校の教科のことだけではありません。大学を出て社会人になっても勉強は続きます。私は、人間死ぬまで勉強だと思っています。
 学校の教科に話を戻します。「外国に行く予定もないのに英語を勉強してどうなるんだ。」とか「因数分解を勉強して何の役に立つんだ。」という人がよくいます。私に言わせれば、このような人は「小人」です。自分が怠けていることをごまかす言い訳に過ぎません。更に「勉強ができても下らん人間は大勢いる。」とか「勉強なんかしなくても立派な人間はいる。」という人もいます。確かにその通りです。しかし、このことが勉強しなくてもよいことにつながるわけではありません。
 いわゆる「いい高校」「いい大学」に入るために勉強すると割り切っている人も少なくありません。「いい」とは、偏差値の高い学校という意味でしょう。そして一般に世間ではこのような考えに冷たいまなざしを注ぐことが多いようです。しかし、これもたいていは成績のよい人へのやっかみに過ぎません。
 高レベルの学校を目指すには、高い目標とそれを達成するための努力が必要です。登山家がより高い山を目指すのと同様です。スポーツもそうです。より強く、よりうまくなろうとすれば、人一倍の努力をします。そして、多くの人はこの姿勢を賞賛します。しかるに、勉強だけはなぜかそうではないのです。これは不思議なことです。
 「うちの新入社員は一流大学出なんだが、全く使い物にならん」と愚痴っていた社長がいました。私も同じような経験を何度もしています。だからといって、一流大学出身者が皆使い物にならないということにはなりません。一流大学に入ったということは、それだけ猛勉強をして、いろいろな知識を吸収したわけです。大学では多くの本を読み、難しい研究をして頭脳を鍛えたはずです。高度な学問をしてきた人は、それだけ人間的にも研鑽され、包容力のある立派な人間に成長する可能性が高いと考えられます。
 漫画ばかりをゴロゴロ読みふけり、スマホで無意味なことをやって時間をつぶし、ぶらぶらとつまらないことに時間をつぶしている若者たちとは、明らかに違います。
 私が言いたいことは、自分に与えられた環境が許されるのであれば、よりレベルの高い勉強をして、よりレベルの高い学校を目指すべく努力せよ、ということです。それは、人間性を高めるためであって、決して高収入を得るためではありません。しかし、これがゴールではありません。むしろこれからが重要です。世の中に出たとたん、勉強することを怠ってしまえば、あとは下り坂を転がり落ちるだけの人生になってしまうことでしょう。このような人間は実は非常にたくさんいます。では、なぜそうなってしまうのでしょう。その原因は小学生時代、中学生時代にあるのです。