まりも

 突然、ずうっと昔に聴いた歌が頭の中に浮かんでくることがあります。時には、たぶん自分の頭の中で勝手に作り出された、はじめて耳にする旋律が浮かんでくることもあります。ひょっとすると、自分はモーツアルトのように作曲の才能があるのではないか、さては人生の選択を誤ったかと思ったりもします。
 先日はなぜか「まりもの唄」がふと頭の中から流れ出しました。昭和20年代にラジオで聞いた唄だったと思います。さすがに覚えている人は少ないでしょうね。
 まりもは北海道の阿寒湖で育つ球形の藻で、特別天然記念物にもなっています。

   ♪晴れれば浮かぶ水の上 曇れば沈む水の底・・・

 どうってことのない詞ですが、ぼんやり考えていると浮かんだり沈んだりするまりもは、どこか人生の凝縮された一面のようにも思えてきます。
 素人考えですが、まだ小さい子どものまりもは体積が少ないぶん、浮かんでいる時間が長いのではないでしょうか。人間も小さいうちは人の世という湖水の上に長いこと頭を出し、楽しく遊んでいられます。
 しばらくたつと、少しずつ状況が変わってきます。相変わらず楽しく無邪気にはしゃいでいる子どもがいる一方で、少しずつ体積が増え、沈む恐れを感じた子どもたちは、湖面での表情は同じくはしゃいでいるように見えても、水面下ではシンクロナイズドスイミングのように手足を動かして沈むのを避けようとし出します。
 先に沈むのは、言うまでもなく無防備にはしゃいでいた子どもです。湖底で転がりながら少しずつ大きくなり、これまでの行動を反省してじっと次の機会を待つことになります。
 しばらくは水面上で頑張っていた子どもたちも、その多くはやがて疲れて湖底へと沈みます。そしていつの日か浮かび上がることのできる晴れの日を待つのです。
 湖底では待つこと、耐えること、転がりながらも自己を鍛えること、さまざまな試練を味わいつつ大きくなっていきます。
 どのまりもが先に浮かんでくるのか、それは分かりません。最後まで浮かび上がらず、湖底でその生涯を終えるまりももいるかもしれません。
 暗い湖底よりも太陽がふりそそぐ明るい水面がまりもにとって平和な場であるとするならば、二度と沈むことなく誰もが明るい水面上で輝き続けることができる人生であってほしい。そんなことをふと思いました。