個性とは

 「個性を伸ばす」とか、「個性を活かす」などと、教育の世界で「個性」という言葉をよく目にします。では、個性とはいつから個々人に備わってくるものなのでしょうか。
 左目の下にあるほくろのように、生まれつき備わっているもののようにも思います。生まれて数ヶ月のあかちゃんを見て、「この子は気が強い子だ」とか「この子は甘えん坊だ」などと、周りの大人がよく言います。そしてそれは、あながち個人的な感想ではなく、周りの人にも大いに同感を与えることがよくあります。
 個性が生まれつきそなわったものでなければ説明の付かないこともあります。「同じ環境で育てたつもりなのに、どうしてうちの三人の子の性格はこうも違うのだろう。」と思い悩む両親は多いことでしょう。性格だけでなく、顔も、能力も、体型までも全く違う兄弟もいます。
もしも、個性というものが生まれつき備わったものであるならば、それを伸ばすとか、活かすことは百害あって一理もないことだと私は思います。生まれつき備わっているということは、社会的な洗礼を浴びていないことにつながります。「オギャア」と生まれて数ヶ月の赤ん坊に備わっている個性があるとするならば、それは自己中心的な自我以外にはありません。「世のため人のため」などと考えて生まれてくる子どもなどいないからです。
 このように考えると、生まれついて持ってきた自分本位の個性などは、伸ばしたり活かしたりするのではなく、徹底的にたたきつぶすべきです。その上で、親として考える人間としてのあるべき姿を幼児の時期に注入すべきです。それはしつけでも、道徳でも、あるいは宗教でもかまいません。親が希望する人間像の観点から、人間としてあるべき姿、やってはいけないことがらを徹底して子どもに諭さなければいけません。このことが成って、はじめて子どもの中にオリジナルな個性を植え付けることが出来るのではないかと思います。それは、伸ばすべきであり活かすべき個性につながります。
 以前、幼児教育の必要性について書いたことがあります。そこでは「読み書き」の能力をつけるには早いほどよいことを書きました。更に加えて、正しい後天的個性を生み出すためにも、やはり幼児教育の必要性を強く感じます。