努力のあとに残るもの

 功成り名をなした人たちの中に、努力せずしてそのようになった人は、いるかも知れないけれどもそれはごくごくわずかな数でしょう。スポーツにしても、芸術にしても、才能だけでは大成することは望めません。どのような道であろうとも、それはそれは筆舌に尽くしがたい努力を積み重ねてきたに違いありません。
 私は塾の教師として、子どもたちに努力することの大切さを知ってもらうことが自分の最大の使命であると思っています。そうは言っても子どもたち、いや、我々大人であっても、本気になって努力しようと思い、それを行動に移すことは並大抵のことではありません。正直言って、塾には入ったけれどもなかなか重い腰を持ち上げようとしてくれない子どもたちも相変わらず存在します。そのような子どもたちをどうやってその気にさせるか、このことにいつも頭を悩ませています。
 その解決策として私が実践している第一は、ほめることです。計算問題一つにしても、今まで解けなかった問題を見事に正解したときには、大いにほめるようにしています。そのことによって、子どもの中に自分もやれば出来るとの自信が少しずつ沸いてきます。ただし、決して指導のテクニックとしておべっかのようにほめるわけではありません。その成長に対して本心からほめています。
 第二に、達成感を味わってもらえるような機会を与えるにしています。どのような教科であれ、薄いドリル一冊でもやり終えれば、大きな自信になり、それが次のステップへとつながります。今週の日曜日、教材の一つである「計算と一行問題」の進展が遅い6年生に声をかけて補習授業を行いました。どの生徒も必死に頑張り、たくさんの問題を合格にしました。中には、ついに5年生の範囲を全問合格にした生徒も何人か出ました。そのたびに仲間から大きな拍手が。5年生の範囲とはいえ、中身は中学入試問題レベルです。これをほぼ3000問、一問残らず正解させたことは、今後の勉強に大きな自信となるはずです。
 努力すること、特に勉強をする上において、そのことの帰結はとかく誤解されるか、あるいは間違った解釈に向かいがちです。すなわち、良い成績を取る、良い学校に入る、そして良い生活を送ることができる、との弁証法です。確かに、結果としてこのようにつながっていくことは考えられます。しかし、それは努力して勉強することの本旨ではないと私は思います。
 努力することによって、自分自身の中に成長したことを感じることが出来、一つのことを達成できた喜びを知り、それが自信となって更に成長する。このことが、将来のある子どもたちには、努力のあとに残る大切なものであると思います。こんな気持ちをすべての生徒に味あわせてあげたい。本心からそう思います。そのために、時にやさしく、時に厳しく、明日もまた子どもたちと接していきたいと思っています。