道徳教育の評価について

 平成18年度から教科として「道徳」の授業が小学校で始まることとなるそうです。ガンコオヤジが影をひそめ、子どもに甘い(と私には思われる)父親が増加している昨今において、世の中には善と悪とが存在すること、善を行い悪を憎む心を培い、行儀や作法を学校でしつけることは悪いことではないと私は思います。更に、内村鑑三が紹介する「代表的日本人」その他、多くの歴史的人物を学び、偉人の生き様を知ることは結構なことだと思います。
 問題なのは、道徳が教科に格上げされることにより、子どもたちが先生によって評価されることです。中学校とは異なり、小学校の通知表は極めて大ざっぱであり、国語であっても算数であっても、それを見て子どもの成績が良いのか悪いのか、さっぱり分かりません。まして「道徳」に◎がつこうが△がつこうが、気にする親はそれほど多くはないかも知れません。それでも、他の教科と比べて道徳の評価が低ければ、やっぱり気になることでしょう。
 本来、道徳教育の理解度をテストで計ったり数字で評価することは無理があるように思われます。それを先生があえて評価しようとすれば、そこに恣意が働きかねません。どうしても、先生が「好ましい」と感じる生徒に良い点がつくことになるでしょう。そうなると、生徒はどのような行動をとるでしょう。先生の見えるところでは「良い子」を演じ、その腹いせに先生の見えないところでは「良い子」の仮面をはがし、いじめに走るかもしれません。こうなってしまうと、道徳教育の理念とはあべこべになってしまいます。
 実際、このような例は公立の中学校に見られます。小学校とは違い、中学校での成績は高校入試の資料となる内申点に反映されます。中学生たちは「内申にひびく」ことを警戒して、常に先生の前では「良い子」であろうとし、抗うことをしません。その反動は、例えば家庭内や友人関係に現れているかもしれません。
 もう一つ大きな問題があります。道徳を成績で評価できる人間とは、どのような人なのでしょう。おそらく、生まれてこの方悪い行いは一切せず、やましい心を持たず、なんの欲望も持たずに世のため人のために尽くす、そんな聖人君子のような人でなければ行い得ないことなのではないでしょうか。日本国中に小学校の先生は40万人ほど存在するそうです。そのすべての先生が聖人君子であるとは私にはとても思えません。
 道徳を評価しようとしても、生徒にとって良いことはなにもありません。そもそも、評価にはなじまないものであると私は思います。
 ある行為、ある考え方について、結論を出さなくても良いから皆で話し合う。誰の目から見ても悪い行いはしない。先人の足跡をたどり、そこから学ぶべき事は学び取る。そして、どうしても評価をつけなければならないのなら、生徒全員を同じ評点にする。道徳が教科に格上げされるのであれば、このような道徳教育であることを願います。