道徳教育について

 私は長いこと塾の教師として小学生と接してきました。接してきた学年は、主に4年生以上の高学年です。おもしろいことに、年によって生徒たちの性格は違います。ある年は、非常に礼儀正しくまじめな生徒が多かったり、また別の年は、精神年齢が幼いというか、教師にも先輩にもお友達感覚で接してくる生徒たちの集団だったりします。どちらかというと今年の5年生は前者、6年生は後者のようです。後者の場合であっても、周りの人に迷惑をかけるわけでもなし、悪いことをしているわけでもありませんので、特に私が叱ったり注意をしたりすることはほとんどありません。
 SHOSHINプラスを本格的に始めて今年で3年目になります。主要なメンバーは1年生と2年生です。低学年と始めて接してみて、高学年との大きな違いに驚かされました。接していると言ってもほんの数名の子どもたちですので、これが普通の状態であるとは思えませんし、またそう思いたくもありません。
 私が驚いたのは、平気でうそをつく子どもたちが多いことです。考えられないことをしても「おかあさんがいいと言ったから」とか、自分のいたずらがばれても「オレはやっていない」と、罪を逃れようとします。他愛のないことと言ってしまえばそれまででしょうが、古い人間である私には看過できることではありません。
 改憲論議であれ今話題の共謀罪であれ、政治の世界ではたいていの場合、賛成と反対の二つの意見に分かれます。そして、それぞれの主張をぶつけ合い論争します。このことは思想や信条の違いであり、民主主義社会にあっては争って当然のことでしょう。しかしながら、うそをつくこと、どろぼうをすることは、誰の目から見ても明らかに悪い行いです。世の中のことを何にも知らない子どもたちは平気でうそをついてその場しのぎをしようとします。あるいは、いたずら心から友だちの持ち物をどこかに隠したりします。そして、そのことをそれほど悪いことだとは思っていません。しかし、「おおかみ少年」の例を出すまでもなく、小さなうそがまわりに大きな迷惑を及ぼすこともあります。隠したこと、あるいは隠した場所を忘れてしまえば、それはいたずらではなく、どろぼうになってしまいます。人間として、このような行いが悪であることを小さな子どもたちに教え諭すことが道徳であると私は思います。
 ビートたけしさんは、今の子どもたちの道徳観念は昔と比べれば良くなっている、と言います(『新しい道徳』)。しかし、比較している「昔」とは戦後の殺伐とした時代からようやく立ち直りかけようとしていた時代です。たしかに、そのような時代と比べれば、「衣食足りて礼節を知る」ことができる現代の方が犯罪も少ないし、子どもの道徳観念も良くなっていることは恐らく事実でしょう。ではもっと昔、例えば江戸時代後期と比べればどうでしょう。武士の師弟は各地の藩校で教育を受けました。そこで現代とは比較にならない厳格な道徳教育がなされたことにより、子どもたちの中に日本人特有の「武士道」が培われて来たことは歴史が示しています。
 だからといって私は何も現代の教育を江戸時代のように四書五経の暗唱にすべきだとの考えを持っているわけではむろんありません。「とおちゃん」や「ママ」を「ちちうえ」「ははうえ」と言い換えるべきだと思っているわけでもありません。しかし、悪いことは悪いと教える最低限度の道徳教育はあるべきだと考えています。
 SHOSHINプラスでは、今年度から「うそはつきません」を子どもたちとの約束のひとつにしました。