もったいない

 ノーベル平和賞を受賞したケニアのマータイ女史がこの言葉を広めてくれてから、「もったいない」はもはや国際語となった感があります。最近では東京都庁周辺でひんぱんに使われているようです。
 なにが「もったいない」のかというと、多くの場合はお金であり、時に食料などの形而下的なもののように思われます。莫大なお金を使って建築物を造っても、それが将来も有効に使われなければ「もったいない」ことですし、まだ食べられる食料をゴミ箱に捨てるのも「もったいない」ことです。
 このように、お金や食料など「もの」がもったいないと思われることはたくさんあります。一方で、「もの」ではないけれども「もったいない」と思われることもあります。そして、それはあるいは将来の日本にとって「もの」以上に「もったいない」ことであると私は考えます。

 それは、すべての子供たちが持っている潜在能力が日の目を見ずに埋没されてしまうことです。世の中には、ただ漫然とその日その日を無意味に送っている子供たちがなんと多いことでしょう。そして、そのことを容認して子供たちの将来に不安を抱かない大人たちの、なんという危機意識の欠如でしょう。
 このような大人たちが共通して言うことがあります。「子供は遊んでいればそれでいいのだ。われわれが子供の頃は遅くまで遊んで勉強なんかしなかったものだ」と。
 しかし、その結果、日本は幸せな国、良い国になったでしょうか。そもそも、そういうあなたたちはどれだけ世の中に貢献していますか。

 スポーツでも習い事でも趣味でも何でもいいから、子供たちが夢を持って充実した生活を送っているのであれば、それは結構なことです。私が問題にしている子供たちとは、学校では勉強もせず、つまらないテレビ番組を見て過ごしたり、将来何の役にも立たないゲームをピコピコやって時間を浪費して1日をおくる子供たちのことです。そして、このような子供たちは実に大勢います。
 このような子供たちにも、それを生かせば将来大きく羽ばたくことができるはずの潜在的な能力は必ず存在します。そしてその能力を見つけ出し、子供たちにそれを発揮できる場を与えるのが大人たちの役割だと思うのです。
 将来の日本を背負う子供たちが覇気もなく一日を過ごし、大人たちもそれを容認していることは、とてももったいないことであると私は思います。